共感性羞恥とは?いたたまれない気持ちについて - 栃木県宇都宮市の障がい者自立支援・共同生活支援 | 障害者グループホーム ファミリー宇都宮

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共感性羞恥とは?いたたまれない気持ちについて

共感性羞恥とは?いたたまれない気持ちについて

2021.05.02

映画やテレビドラマの登場人物がミスをして上司に怒られているシーンを見たとき、テレビから目をそらしたくなることがありませんか。あるいは、現実に失敗してまわりの同僚にクスクス笑われている人を見たとき、かえって自分自身が恥ずかしくなることがありますね。このように笑われたり、恥をかいたりしている人を見ると、いたたまれなくなる気持ちのことを「共感性羞恥」といいます。ここでは「共感性羞恥」について詳しく見ていくこととしましょう。

「見ていられない」共感性羞恥とは?

「共感性羞恥心」は「きょうかんせいしゅうちしん」と読みます。ある人が仕事のミスなどをして叱られるなどして恥をかく、怒られる、失笑を買う、非難を受けるといったシーンを実際に、あるいはテレビや演劇やマンガなどでそのようなシーンを見て、まるで自分のことであるかのように恥ずかしくなったり、動揺したり、しょんぼりしたりして羞恥心を覚える現象です。英語では「empathic embarrassment」(略してエンパス)と表現します。

羞恥心は、他人の視線を意識することによって発生します。羞恥というと「恥ずかしい」という感情がまっ先に思いうかびます。しかし、それ以外にも非難されたり怒られたりして動揺したり、しょんぼりしたりする気持ちもあるのです。他人が感じているのと同程度のものを感取ってしまうわけですね。「共感性羞恥」は両親や兄弟といった家族に対してのものが一番強く、次に友人、次に見知らぬ人という順番で感じるのです。心理的距離の近い人から順番に感じるというわけです。

「共感性羞恥」は、「非常に感受性が強く敏感な気質」という意味のHSP(英語のHighly Sensitive Personの略)の類義語とされるほど身近な感情です。「共感的羞恥心」は、羞恥している相手に対する自分の共感だけによって引き起こされるものではなく、相手が恥ずかしいと思っていなくても感じることがあります。そのため、「観察者羞恥」と言われることもあるのです。

なお、wikiなどのネット上では「共感性羞恥」の意味が違っており、「思春期にやりそうな痛い人の行動を見て、すぐにでもやめさせたい」というニュアンスになります。見られている人が恥ずかしい行為をしており、後でその人が恥をかくことが明白である点が本来の意味と少し異なるのです。「おまえのおかげで恥をかかされた。痛い目にあわせてやる」とばかりにののしったり、暴力をふるったりといった攻撃にでることが、ネット上の意味の「共感性羞恥」となるのです。言い換えれば、「恥をかかされたからけじめをつけさせてやろう」という発想ですね。「うっせえわ」の反応に対する反応がその好例といえます。

どんな時に共感性羞恥が起こるのか?

羞恥感情の発生には、他者の視線が影響していると言われています。確かに、異性など他人から見られるから恥ずかしいと思うもので、見られていなければ何とも思わないものですよね。考えてみれば、当たり前のことです。例えば、女性が化粧してなくても一人で部屋の中にいる時は何とも思いません。しかし訪問者があるとあわてて化粧するのは、すっぴんでは恥かしいという羞恥感情がおきるからにほかなりません。

「共感的羞恥」は、他人に共感することと、自身が羞恥を感じることによって決定されるものです。「共感性羞恥」が起こる明確な原因はわかっていないのですが、「見てはいけないものを見てしまったので、ここから消えてしまいたい」、「恥をかいた人と同じ人間だと思われるのは嫌だ」と感じるからではないかといわれています。「共感性羞恥」の原因となるのは、共感性と感受性なのです。

「共感性羞恥」が強い人は、「女性」「思春期」「感受性が強い」「同情心が強い」「やさしすぎる」といった人が多いようです。特に自分のことを「繊細すぎる」と意識している人は、他人の恥ずかしい気持ちをそのまま受け取りがちになります。また、HSPの人も同じような傾向を持った人が多いようです。HSPとは一般に繊細・神経質・内向的な人たちが持つ「気質」のことです。HSPの人の「あるある」として、共感性および羞恥心がとても強いことでしょう。これは生まれ持ったものですが、アスペルガーと同様に病気として診断されたものではなく、もろもろの影響を受けにくい人と受けやすい敏感な人とを二分した、単なる概念に過ぎません。

羞恥心を呼び起こすシーンとしては、例えば、酔っ払ってみんなの前で友達が歌いだしたとしましょう。それを見ているだけの自分がすごく恥ずかしくなり、「うざい」などと言って友だちが歌うのを止めさせようとしたりした時です。あるいは、友達や兄弟が怒られれているのが目にはいってつらくなる時とか、漫画・アニメ・テレビドラマで恋愛シーンを見て照れくさくなった時などがあります。羞恥感情には、好ましくない行為や行動をセーブする働きがあると言われていますが、見ているだけで恥ずかしくなる羞恥感情にも同じような働きがあると言えるでしょう。

共感性羞恥は悪いこと?

「共感的羞恥」は心理的距離の近い者ほど感じやすく、自分に恥を感じることの意識が強いほど、「共感的羞恥」を受けやすいことが明らかとなり、自分への羞恥心と「共感的羞恥」は同じ感受性を起因としていることがわかりました。「共感性羞恥」をもつ人は他人を共感的なものとして認識する力が高いということです。

この性質は変える必要はありません。また、変えられるものでもないと思います。「共感性羞恥」を感じることはけっしてよくないことではありません。相手の気持ちや傷みを推して知る、温かい心をもった人であるということです。「共感性羞恥」を感じる人はすなわち優しい人であると言うことができるのです。そういった人はその事実を素直に受け入れてみてはいかがでしょうか。

共感性羞恥の「羞恥」という言葉の印象から、嫌な感情に思えるかもしれません。しかし、「共感性羞恥」の強いゆえに友達の相談に親身になって耳をかたむけることもできますし、ドラマのヒーローなどを見れば感情移入ができて泣いたり喜んだりしてその世界に入り込むことができるわけです。自分にとってどうしようもないことからは目を背けて、前向きなことに自分の性質を役立てることができれば、すてきな人生を歩むことができるのではないでしょうか。「共感性羞恥」を活用して、前向きな感情をたくさん育てていくように心がけましょう。

共感性羞恥への対策は?

「共感性羞恥」が起こるのをできるだけ避けるためには、日頃から「人と自分は違う」という考えを、強く持つことです。「共感性羞恥症」は被害妄想と言ってよいもので、他人に自分をコントロールされないように意識しましょう。また「共感性羞恥」のみならず、不安定な精神状態のときは、見たり体験したりしたことにひきずられてしまうものです。視線をずらして、思い込みの世界から抜け出してください。幸いにしていつからか妄想と現実を素早く切り分けることができるようになれば、「共感性羞恥」から生まれてくるストレスを減らすことができるのです。

どうしても、「共感性羞恥」を覚えてそれがいつまでもまとわりつくようなら、「自分がお笑いの対象となっているわけじゃないのだ」と自分を客観視するか、他のことに意識を向けて気をまぎらすかをしましょう。たとえば目の前で笑われている人がいたら、さっとその場から距離を置くか、今度の旅行はどこにしようかなどと他のことを思い浮かべるようにするのです。

HSPの人は完全に「気にしない」というのは難しいので、気にしないようにするだけでもいいでしょう。テレビをなるべく見ないようにするとか、できるだけ目に入らないようにするしかないでしょう。「目を背ける」というと、ネガティブな印象があると思いますが、HSPという自分の性質を持つことを認めたたうえで目を背けるという手段をとるのであれば問題はありません。どんどんネガティブなことを遠ざけていけばいいのです。

感情を上手にコントロールしていきましょう

「共感性羞恥」の強い人やHSPの人は生きていくのに不都合な性質を持っているのではなく、一つの「能力」として意識してみましょう。そうすればまわりの世界の見え方も変わってきます。このような敏感でやさしい性質をもって生きている人が自分の他にもたくさんいるのだということを覚えておきましょう。今までHSPなどのために人間関係に悩むことが多く、生きづらさを感じていた人でも、これからは自分の感情を上手にコントロールして、敏感すぎる自分とじょうずに付き合いながら「自分らしく生きる道」を切り開いていくこととしてはいかがでしょうか。

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